魔術書について考察する

以下は考察ログであり、魔術書本体ではない。

Since 2019/12/08

目次

目次        1

1. 情報収集をする        2

1.1. 方向性        2

1.2. これまでの設定        2

1.2.1. 「呪文」について        2

1.2.2. 「呪文」と悠里小説        2

1.2.3. 悠里慣例的な詠唱意義の解釈        3

1.2.4. ウェールフープとその解釈        3

1.2.4.1. 宗教とウェールフープ        3

1.2.4.2. 社会とウェールフープ        4

1.2.4.3. 言語とウェールフープ        5

1.2.4.4. 現象とウェールフープ        5

1.2.4.4.1. Kranteerl y io xalにおける現象        5

1.2.4.4.2. Kranteerl y io kladi’aにおける現象        6

1.3 これからの設定        7

1.3.1. 魔術書の時代        7

1.3.2. 魔術書の思想        7

1.3.2.1. フィグウィンの視野主義的古教法学        8

1.3.2.1. アイシュの魔法視野論        8


1. 情報収集をする

1.1. 方向性

2019/12/6にふと魔術書を書きたくなった。

        https://twitter.com/sashimiwiki/status/1202624103649140736

        https://twitter.com/sashimiwiki/status/1202963325337817089

というのもこの間、スキュリオーティエ叙事詩やら英雄叙事詩の研究についての本を読んでいてファンタジー脳になっていたからである。ともかく、リパライン語と韻文文学に絡めたものとして作れればすごく良いなあと思うなどしていた。

また、2020/10/4には魔術書考察の本義を次のようにも述べている。

        https://twitter.com/sashimiwiki/status/1312209804769726465

        https://twitter.com/sashimiwiki/status/1312211075794759682

エクリチュールをロラン・バルトは階級の再生産装置であるとしているが、この階級の再生産装置という特性を逆に捉えることによって、固有の階層≒固有の言語社会の創作を固有のエクリチュールの建設を通して行うことが出来るのではないかと考えた。

1.2. これまでの設定

魔術書設定を行うためにはこれまでの設定をまず大観して、まとめていく必要がある。なぜなら、魔術書以前に魔術書が書かれた時代の「魔術」理解を決定しなければならないからである。

1.2.1. 「呪文」について

 リパライン語で「呪文」は”ciant”と言う。これは古典リパライン語の”ciernk”から来ており、これは”ccuio hernk”の合成語である。”ccuio”は「歌う」であり、”hernk”は「変わる」という意味である。本来、リパライン語での「呪文」は「歌って、(現実を)変化させる」というものであったらしい。

 また、この単語から派生した”ciantes”という動詞は「(-’sは-’iという呪文を-’cに)掛ける」という意味の動詞になっている。

 ほかにも「呪文」の訳語が当てられている単語には”werlfurpuvirel”というものもある。形態素分解すれば[werlfurp-u-virel]、つまり「ウェールフープの言葉」ということになる。呪術的な言語は古くからウェールフープとの繋がりが強かったようだ。

1.2.2. 「呪文」と悠里小説

 歴代の悠里小説の中で魔術詠唱を特徴としたものはいくつか存在している。一番有名なのはKranteerl y io hahuli(はふりの書)内に登場する主人公ガルタ・ケンソディスナルによる”Iska lut xelkener”である。作中では丁度10回登場しており、いずれもウェールフープを発動する直前に発している。発動したウェールフープの種別としては、ウェールフープ学的四次元転移(6回)、三次元転移(2回)、爆破(1回)である。1回は不発だったため種別不明。この詠唱に関しては特定の言明とウェールフープの種別は関係がないようだ。

 更に古いものでいえば、Kranteerl y io kladi’aの登場人物スカースナが”Lrad. Lrad. Mi'i uhhluer'i ohnna fghphass hudoslss'd hulgo'i junap plashe.”というものがある。これは古典リパライン語なのだが致死傷を負った大量のシャスティを蘇らせている。

そう、シャスティの声はもはや一つも聞こえなかった。そう言った瞬間、スカースナがシャスティたちの方を向いて歩いていった。

"Lrad. Lrad. Mi'i uhhluer'i ohnna fghphass hudoslss'd hulgo'i junap plashe."

そういってスカースナは手を上げた。するとスカースナの手に光が集まってその光が散った。眩い光はシャスティたちを包み込んだ。そして、シャスティたちはひとりひとり目を覚まし起きてきた。

(Kranteerl y io kladi’a, #30)

 悠里小説の詠唱が本来何に由来するのかは良く分かっていない。悠里小説のはしりであるKranteerl y io xalの内容では特定の詠唱は存在せず、「それ殺れ、ユエスパンマン」においてちょっとした詠唱のようなものが見られるくらいである。ただ、リパライン語が登場するシーンで”iska lut ~”という句は連発されている。Kranteerl y io hahuliの詠唱の由来はここにあるのだろう。

1.2.3. 悠里慣例的な詠唱意義の解釈

 古くは2016年3月28日からウェールフープ詠唱が何を表すのかは考えられてきた。詠唱を原因としてウェールフープが発動されることは、機械式のウェールフープが設定的に無いこの時期では考えづらかった。このために昔から行われていた解釈は「精神的準備説」である。

 「精神的準備説」はウェールフープ発動時の詠唱がルーティン動作に当たるものであると考える。ルーティン動作には集中力、気分尺度などが向上させる効果があると言われている。というわけで実効機能の面ではウェールフープ詠唱はその発動前の準備動作であり、集中力や気分尺度などを向上していると考えることが出来る。

1.2.4. ウェールフープとその解釈

 まず、魔術書や呪文、詠唱について考察する前にウェールフープとその解釈についてまとめる必要がある。魔術書はもとより、ここで取り上げている呪文詠唱に関してはウェールフープを対象としている。ウェールフープとその周辺について理解することは続く創作に正統性を与えるだろう。

 そもそもウェールフープ(理:Werlfurp)とは悠里世界に存在する異能的現象・技術・文化を総じて指す用語である。本来、ケートニアー(理:Kertni’ar)と呼ばれる人種が行うことができ、その身体にある造・発モー二体を通じてウェールフーポ(理:Werlfurpo / WPo)と呼ばれる粒子(別説あり)を出して、それを物体などに適用することによって様々な現象を起こすものである。S.H.K. WP理論に基づくと、ウェールフーポは力のWPo(Anfi'een werlfurpo、略してAo)、質量のWPo(Nisninosnejen werlfurpo、略してNo)、エネルギーのWPo(Furpen werlfurpo、略してFo)の三つが存在している。

1.2.4.1. 宗教とウェールフープ

 ウェールフープに対する宗教的解釈は昔から存在している。

 皇論ではウェールフープを皇神(tam2、タム)の力と考え、ウェールフープの発動を神の力と捉えて発動を日常生活では行なわないようにしている。基本平和主義な考えを持つためウェールフープの発動による紛争は全て神の名の下に行なう聖戦と考える。

 リパラオネ教では、フィアンシャンの第12条にウェールフープで人を困らせてはならないという規則があり、またファシャグノタールの戦記には呪文詠唱のようなものが見られる。また、ID論に似たリパラオネ・ウェールフープ・レースゼス(LWL)というものも存在する。

 フィメノーウル信仰では、世界の物質と意思はエントロピーを拡大して現在を構成している物理現象や法則、気象が存在するが、これらは意思と物質が密接に関係しているということを基本においている。意思が弱くとも、全ての物質には1以上の濃さの意思を持って意思体として構成されているのがこの世界の現状であり、水家ウェールフープ学においては儀式によってそれら意思体に呼びかける事で現象を変更させる、決定させる事が可能とされた。ここに呪文詠唱の根拠が考えられそうである。

 物理法則や気象現象は物質と意思のエントロピーの拡大によってその緻密なルールが崩壊してしまうため、唯物論的科学は流れ行く歴史の一片における行動原則を数万年使い続けるようなものと考えられた。有名なヒュームのカント批判の援用のようなものがここに出ているのは興味深い。

1.2.4.2. 社会とウェールフープ

 ヴェフィス人の名乗り(Lkurvelsnojo)は詠唱術と関係しそうである。

fyrnajten latasはヴェフィサイトが戦場で敵の首を掲げて身分・家系・先祖の戦績などを叫ぶことで味方の戦意高揚と敵の戦意喪失を図る役を置いた風習に由来して景気づけに行う仕草(lkurvelsnojo, 名乗り)を指す。戦闘において無意味な殺戮を嫌うヴェフィサイトの段階的伝統的休戦法として儀礼かしてゆくことになるが、南北戦国時代以降は形骸化したため実際の意味を失った。現世でいうガッツポーズに近いものであるが、一部文化圏や社会環境では野蛮や不謹慎であるというイメージを与えることがあるため、行う際には注意が必要になる。

 ファイクレオネでは近代に一定のウェールフープに認可が必要になるウェールフープ免許制が発達したが、人権侵害へとつながったために結果的に廃止された。

 ネートニアーの権利向上闘争が始まるのはADLP以降である。これはそれまでのウェールフープ学が魔法神生論的であったからということも関係している。ウェールフープ学的思想の転換とユリーと呼ばれる教育制度に代表されるADLPの教育の拡充が人々の意識を変革させた結果であった。常用とてサームカールト酒というものがあり、究極にはネートニアーだってサームカールトなりを服用すればウェールフープはできたのであり、ケートニアーもネートニアーも解剖学が発達しない限りには判明しないはずだし、昔の人はそもそもケートニアー、ネートニアーの区別がなかったのではないかもしれない。

 カラムディアでは古くからウェールフープによる虐殺があり、王朝が国内のケートニアーに「移動魔法使用成敗式目」をだし、ウェールフープが厳しく規制されることになった時期があった(toi.1935)。反王制独裁派「ハフリスンターリブ」はウェールフープを用いて国内で暴れまわり、xelkenとの協力で王国内で暴れてきた。

 ペーセ系民族にはフェースィー忍術と呼ばれる格闘スタイルが存在する。ロビラガルタ家が伝える格闘術であり、投げ・突きを主体とする原始フェースィー忍術にゼースニャル・ウドゥミトを武器として積極的に取り入れた格闘スタイルである。

1.2.4.3. 言語とウェールフープ

 リパライン語において、”werlfurp”「ウェールフープ」の語源は不明瞭である。”furp”は現代リパライン語では「エネルギー」の意であるが、これは”werlfurp”から派生しており、同じくウェールフープに関係していることを表す”welf-”という接辞も”werlfurp”から派生しているため形態素境界の証拠とはならない。古くからWPと略されているため、頭字略語と解釈するならwerl-furpで区切れるのかも知れないがこれも不確実である。なぜなら、これは音節頭字略語であって形態素頭字略語とは限らないからである。リパライン語では音節頭字略語は一般的であり、例えばADYG(=Akademice yrgok)、CCCK(=chystischyettinecerlkyde)、sarxyr(=sarma ad xyrtschen)などが挙げられる。

 ウェールフープを使うための造発モーニ体を持つ”kertni’ar”「ケートニアー」は伝統的には”kerint(老ける)-ni(~ではない)-aer(~する者)”というエタンセンス語(古典リパライン語以前のリパライン語の総称)に由来するとされている。しかし、これだと”nertniar”「ネートニアー」の語構成が割と謎である。

 その他、plesなどの単語が存在するが語源は不詳である。

1.2.4.4. 現象とウェールフープ

 さて、これまでは理念的な話をしてきたが、ここでは実際の場面を扱う。実際の場面とは、2010年代ウェールフープ学において実際のウェールフープ現象の参考とされてきたKranteerlシリーズを中心とした小説群におけるウェールフープの描写である。理念的なウェールフープは様々に語られてきた。しかしながら、ここでは魔術書という本来非効率で非科学的なものを構築してゆく。そのためにはウェールフープの実際的な現象とそれへの人間の解釈・感覚がまず重要である。そして信仰、形而上学的な認識学なども考えることが必要である。

 そのためには、やはりウェールフープとは何だったのかを取り返さなければならない。

 以下の詳しい内容の考察に関しては、別ページを参照されたい。

1.2.4.4.1. Kranteerl y io xalにおける現象

 Kranteerl y io xalは悠里界隈で初めて書かれた小説である。執筆者はFafs F. SashimiとSkarsna haltxeafis klanであり、当初は二人のメールによるリレー小説として執筆されていた。本文の記録は2014/10/12に行われているが、恐らくこの記録は完成後に全文とおまけを整理した時の日時だろうから、書かれた時期はこれ以前だろう。

 この小説は恐らくユエスレオネ革命以降の話である。転校生としてやってきたヒロイン、アレス・シャルが主人公の八ヶ崎翔太と邂逅し、地球を侵略しようとするXelkenとの対決へと進んでゆくという話である。

 現象の集計結果は以下の通りである。最初期の作品であるためウェールフープへの考え方として注視すべきものがあるが、特に「炎の操作」「氷塊の操作」に関しては主人公やヒロインの能力であるため除いて考えたほうが良さそうである。そうしてみると、上位に来る物質転移やエネルギー操作、三次元の瞬間移動、構造物の破壊などウェールフープへの意識が荒々しさを中心に考えられていたというのが良くわかる。このようなウェールフープ描写の意識から、当初ウェールフープは戦闘にのみ用いられるものとして考えられたとも考察できるが、作中でシャルが「WPは唯人を殺す剣ではないわ。使いようによっては善にも悪にもなれる。だから私は…」(kyix, #11)と発言しているのを見ると、日常生活の中でもウェールフープは利用されているようにも読める。Kranteerlシリーズが異能バトルものを意識して書かれた以上、戦闘描写が多いだけで「日常生活のウェールフープ」という領域はまた別で考えるべきなのだろう。Kranteerl学で分かるのは「戦闘のウェールフープ」という領域のものだけである。

ウェールフープ現象の種類

出現回数

炎を身にまとい、それを操作する

8

何もないところから物を取り出す(物質転移)

5

氷塊を操作する

5

何らかのエネルギーを操作する

2

三次元上の瞬間移動

2

ラーデミンに関するもの

2

壁や扉、建物を破壊する

2

超人的なスピードで移動する

1

ケートニアー的な自己治癒能力

1

四次元(ウェルフィセル)上の瞬間移動

1

かまいたちのようなもので斬りつける

1

光源を生み出し、操作する

1

人を眠らせる

1

光線を放つ

1

飛翔体の運動方向を逆転させる

1

1.2.4.4.2. Kranteerl y io kladi’aにおける現象

Kranteerl y io kladi’aはこれの前のKranteerl y io xalの続編として書かれた小説であり、執筆者はFafs F. Sashimiのみである。小説共有サイトに直接書かれた悠里初の小説であり、記録上では        2014年10月08日(水) 23:05に書かれはじめ、2015年01月07日(水) 21:42に執筆を終了している。

 前述の通り、Kranteerl y io xalで生き残ったレシェール・クラディアが八ヶ崎翔太のXelken新総統抹殺を未然に防ぐために過去にタイムスリップするところから話が始まり、更にそれを防ごうとする夕張と戦うという話である。

 Kranteerl y io xalと同じようにウェールフープは戦闘の道具としての視点で描かれている。

 17話までの現象の集計結果は以下の通りである。

ウェールフープ現象の種類

出現回数

氷塊を操作する

10

プラズマを操作する

8

電撃を操作する

3

気流を操作する

2

光を操作する

2

ラーデミンに関するもの

1

爆破を行う

1

超人的なスピードで移動する

1

壁や扉、建物を破壊する

1

かまいたちのようなもので斬りつける

1

1.3 これからの設定

1.3.1. 魔術書の時代

考察を進めていくと、魔術書の時代はある程度特定できることが分かった。時代を特定できるということは、魔術書と中世魔術文化社会の前提条件をはっきりさせることが出来る。時代が特定できるのは以下のような理由による。

つまり、魔術書と中世魔術文化社会は9世紀から11世紀の約200年間の間に存在したと言える。

1.3.2.1. 魔術書の時代とはどのような世界なのか

9世紀からサルシュナースとそれに対するフィアンシャ権威の反発の歴史が始まる。クローメの発達とともにクローメ主義的な詩学や燐詩主義的な文学が発達している。現在ある明確な時期の設定はこんな感じになっている。

1.3.2. 魔術書の思想

魔術書では、その特異性のあるウェールフープ解釈のために思想的背景を必要とする。この時期のウェールフープ思想は上記にある通り、魔法神生論であるがこれは「魔法はアレフィスとの対話によって準備される」(理日kheltalefisera)という基礎的な考え方以外では多種多様な理論があったようだ。

 そのため、ここでは一人の教法学者の影響を強く与えたいと思う。

1.3.2.1. フィグウィンの視野主義的古教法学

フィシャ・グスタフ・インターメーデッタフ(fixa gustaf intarmerdettaf)は812年生まれの古典学派教法学者の一人であり、視野主義的古教法学(dirawirnglergeranasch arlefi'ar)というものを打ち立てた人物である。

 当時、アレス学派教法学の興隆に対する反動としての古典学派の一つの動きであり、それは「視野」というものを重要視する教法的世界解釈(firlexel dzilfi'a)を主幹とする。

 視野とは我々人間全員が、パースペクティブな視点を持って世界を認知しているということであり、それは神の全能性を想定しきれないところに行き着くという。世界を全てを一括して認知するアレフィスと視野によってしか物事を認知できない人間という対立構造は革新的な認識として強く中世に影響を与えた。

 その影響の一つとして、視野主義的魔法神生論がある。これはウェールフープを神との繋がりによって我々が一括して把握し、処理できない世界全体の可能性を操作することで現象を起こしているのだというウェールフープ解釈である。

 しかし、この理論は魔法神生論の「WPは神に作られたものでありそれを定義することや理論化することは不可能」という基本方針に反する異端として写ったため分派として新たに再出発することになった。これが魔導書の基礎となる魔法視野論(welfakrufiguinera)の始まりであった。

1.3.2.1. アイシュの魔法視野論

アルトラブラエン侯国の侯爵アレン・イシュファンタフ(alen.ixfantaf)――アイシュは視野主義をウェールフープ理論に持ち込んだ最初の人物となった。彼が提唱した「魔法視野論」を表す”welfakrufiguinera”は「ウェールフープ的にフィグウィンの主義に訳すこと」という意味を持つ。

 この時代は解剖学的見地が進んでおらず、ケートニアーとネートニアーが明確に分別されていたわけではなかった。このため、ウェールフープも鍛錬すれば出来るようになると考えられており、実際にネートニアーとケートニアーが混交することによってケートニアーの子供が生まれるなどのケースでこのような説は強化されていた。

 そこでアイシュは分裂と混乱の領邦時代においてウェールフープを確実に使えるようになる理論を求めた。そこで目をつけたのが視野主義的古教法学の教法的世界解釈論であった。これを元手にして、アイシュは皇論におけるウェールフープの「神力」としての解釈をリパラオネ一神教的に教法学に取り入れたのであった。戦闘で勝利を繰り返すアイシュの思想は他国にも広がり、9世紀から11世紀の間でのスタンダードとなっていった。

・視野主義……世界解釈は視野的である

・非線形時間論……時間は関係である

・ドグマ主義……理由は無限後退する