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レヴェン哲学の用語

基本的な用語を簡単に説明する。詳しく議論したい場合はページを立てる方針である。

不能性(nefessykinascho; NSN)

前期レヴェンにおいて確立されたファイクレオネ近代法学を特徴づける概念。大まかにいえば、法運用の暴走を防ぐために、法の取りうる形態を制限するという概念であり、教法学など古典的な法の基礎付けが何らかの理想形を目指すような形式をとるのに対し、ある程度以上に法が「堕落」するのを防ぐ形式をとる。『3つの不能性』では、ファイクレオネ近代法学三原則である推定無罪原則、罪刑法定主義、事後法禁止が現代のそれとほとんど同じ形で提唱された。

圧政機構(clilarcyeustu’d cela; CC)

「共同体一般の幸福の実現から離れ個々の人間を圧迫するようになった公権力に付随する機構一般であり、しばしば権力層の不当な優遇を含む」と説明される概念。後期レヴェンは、伝統的法学を圧政機構を安定させる試みであると批判し、それを通じて圧政機構に陥らない法制のあり方を探求しようとする議論が基本となる。

人間性(lartavenesnascho; LN)

人間を特徴づけるもの全般を指すこの語は、レヴェンの文脈においては、法制を構築するものとしての人間の限界であって法制の形態に影響を及ぼすものを指す語として用いられる。『不能性理論の擁護』においては「正義を直観することはあっても、その境界を厳密に認識しその認識を共有することはできない」という人間性を基礎にして、不能性の要請なきリパラオネ教法を批判した。

蠢く容器(vaxirlner’d enerl vel)

『不変性の要請』において導入された思考実験。法を民衆をして有益たらしめるための容器であるとする水器論は、一部の階級による法運用を支持せず、むしろそれを否定するものであるとする議論である。レヴェンはこれに基づいて水器論(の歴史的な運用のあり方)は圧政機構を安定させるものであると批判した。その大まかな議論は以下の通りである。

  1. まず勝手に蠢き穴が勝手に空いたり消えたりするような容器(法の比喩ではなく実際の容器)を想像すると、これは当然使いづらい。
  2. なぜ使いづらく感じるかというと、水の動きが無秩序になるからである。使用されるべきものの挙動が無秩序で使いやすいわけがない。
  3. またこの容器を複数の人間が共用しており、容器がある特定の人物の使用を阻むように蠢いた場合、不公平さという問題も生じる。
  4. この議論は、水器論によって基礎付けられた法に対しても、ほとんど同じように適用できる。
  5. かつて法がたびたび変更されていた時代は、人々の法に対する信頼が崩壊し、社会の無秩序さが増した。
  6. そして、その変更や法運用の中で差別的な構造が生産されてきた。
  7. これは、法自体がたびたび変更され、あるいは法運用の基準が歪められたために起こってきた問題と分析できる。
  8. このような問題が起こるのは、立法や法運用に関わる人間が制限されてきたことにより、個人の思惑が法の挙動に反映されやすい状態であったからと考えられる。
  9. これを解決するために、より個人の思惑が反映されにくい形態で法を定め、運用するべきであり、その形態とは民会である。なぜならば、面識のない多くの民衆に共通する思惑は、生活を改善することのみであると考えられるからである。

これは水器論によくみられる比喩を冗談めかして援用したものであり、『要請』の中では、バート法制史の分析によって民会が要請されることを導き、民会による少数派の弾圧を防ぐために必要な民会の権限に対する制約を議論するなど、比喩に頼らない緻密な議論が行われている。

倫理の階層(pleo’d avir)

『心圧としての心圧論』で導入された概念。人間の認識しうる範囲の外にその基礎を置く教法学や、不完全な推論によって圧政機構の安定を許した水器論と異なり、単純な倫理的要請によって法制に規範を与えようとする心圧論はより圧政機構に走りにくいと考えられるが、歴史はその予想を裏切ってきた。それを説明するためにレヴェンが提唱した概念が「倫理の階層」であり、大まかに言うと「法制という大規模かつ及ぼす影響の深刻な問題については、個人の生活における倫理規範をそのまま適用することはできない」という概念である。

普遍主義(paskadalera)

リパラオネの影響の強いラメストに生まれたラネーメ系リパラオネ人のレヴェンはしかし、皇論などのパイグ文化に傾倒する両親や親戚の影響でラネーメ人としてアイデンティティを育んできた。しかし、これは彼の地理的・人種的コミュニティにおいて文化的他者になることを意味していた。その経験によってレヴェンは個人と法律の間の文化的摩擦の存在に違和感を抱くようになっていった。これが法哲学的問題として提起されたのが普遍主義である。その内容は「多文化・多民族国家において法制が前提してよい文化は強く制限される」というものである。例えば現代のユエスレオネ連邦においては飲酒・喫煙が禁止されているが、これはリパラオネ教の教義によるものである。ユエスレオネ連邦がリパラオネ教徒のみによって構成されるものでない以上、これは普遍主義に反する。この例からもわかるように、普遍主義の基本的な根拠は、それに反する状態が文化差別・民族差別であることである。