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「レシェール・ヴェンタフ」2021年4月30日 (金) 23:22版の編集を妄想する

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思想家テンプレート作らないとなあ。

'''レシェール・ヴェンタフ'''([[リパライン語]]: lexerl.ventaf, 1839 - 1887)は19世紀の社会哲学者・法学者。

「社会哲学者・法学者」、まあそうなんじゃないんですかという気もするが、なんかよくわかんないな。自認としては「応用法制史学者」とかそういう感じなんじゃないかって感じもあるし。とりあえず外から見た感じだとこいつずっと法理学やっとんなって感じではあるが。

[[ファイクレオネ]]近代法学三原則を提唱した近代法学の祖であり、後期からは法学基礎論を通じて社会哲学の探求を続けた。

えーあれって社会哲学なんですか。それはそれとして、近代法学ってなんなんだよって話があり、近代法学ってなんなんですか? 多分phil.2020とかの法学って「伝統的法学」「非レヴェンかつ†近代†の法学」「†近代法学†」「レヴェン学派」に分かれんでしょ。実定法とかちゃんとやるだけの集積が社会にあるの、伝統的法学と†近代法学†(の一部)なんだろうなあ。
あれ、イェスカ主義の方って法学とかどうなってんだ? どうなってるんでしょうね。

省略名称である'''レヴェン'''(リパライン語: leven)で呼ばれることが多く、彼の思想を受け継いだ者たちを'''レヴェン学派'''(リパライン語: levenen terselyr)と呼ぶ。

レヴェン学派が何をしたい奴らなのか最近わかんなくなってるんだよなあ。あいつらってなんなんだろうなあ。まあ自由法学とかみたいにアイデンティティとなりうる法学上の運動というのはあるわけだし、そういうあれか? うーん寧ろ無駄に息の長い新カント学派みたいなノリなんだろうか。

ラネーメ系リパラオネ人である。
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レヴェンをラネーメ系リパラオネ人って言うの微妙な気分になりますよね(個人の感想)。いままあ割と最近までレヴェンのラネーメ要素がちゃんと注目されていないのは(かなり政治的な)理由がちゃんとあるという説が最近提出されているんだよな。求: パイグ人陰謀説の有識者。ただレヴェンが多分パイグ人としてのアイデンティティを有していたし皇論論者であるというのはかなり重要な話なのであんま流したくないというのもまた事実。

==概要==
レヴェン思想は前期と後期の2つ、1865年からの[[ヴェフィス国立研究院大学]]での働きである前期レヴェンと、政治活動によってヴェフィス国立研究院大学を追い出され[[天神大学]]で研究を続けた1878年からの後期レヴェンに分けられる。

「政治活動によって」とかいう(多分レヴェンのせいで)根強い俗説~という気分だ。レヴェン団にあてたレヴェンの文献がないの何でとちょっと思ったが、あんなやつらに言論が刺さるわけないので当然という気がする。というかあいつらレヴェンに文句言われてどう返したんだろう。謎です。まあレヴェンが「うーんこれ祭りあげられている私が爆散するのが一番早いのでは?」などとちょっとよくわからない結論に至るくらいにはちょっとよくわからない返しをされるって感じかな。なんとなく、追放事件ってVIKK内で対処に対する困りが発生したところで本人が爆散したいと言い出したことで生えていそうという気がする。

前期のレヴェンは、[[ヴェフィス市民革命]]以降の思想における民主主義的法制を追求する方向性の研究を続けた。

はい。よいと思います。そう前レヴェン法学をしないといけない。なんとヴェフィス市民革命すらよくわかっていないというのに。

ファイクレオネ近代法学三原則である推定無罪原則、罪刑法定主義、事後法禁止を提唱し、これはその後の法学の大原則となった。

うーん、そうなんですか? いや、いいとは思うんですが、そこは本質ではなくて法にNSNを課すことによって以下略。略すな。課すことによってhia1 bet2をbet2しようというのが重要なのであって、この3つはその中核に位置する(気がする)というのが重要なんですね~

後期のレヴェンは、法の基礎づけに傾倒し、「教法学批判」「水器論批判」「心圧論批判」とそれぞれ称される論文・書籍群の中で伝統的な文書を批判した。その議論を通して人間の責任能力とその行為の可罰性などの概念や国家主義を批判することになる。

えーと色々言いたいことはあるので、適当に書いていくか。
とりあえず、自分の過去の考察を引用すると、”皇論の特徴として結構悲しみを環境要因によるなあと認識するというのがあり、ある意味で環境要因のパワフルさを信用しているとも言える。それに影響されたレヴェンの根本的なモチベとして、ただ心圧のみを圧する自己保存的な環境要因を作れないのだろうかというのがあったのだろう。前期レヴェンは心圧を与える法制を観察する消去法的な議論をしているだけであまり不思議なところはないが、後期レヴェンはこれだけでは理解できない。後期レヴェンの端緒は不能性理論に対しリパラオネ教法学からの批判が生じたことにあった。この批判はレヴェンにとって非直感的なものだったに違いない。大遠の方が小周より心圧を圧するわけではないのだから。教法学批判とはこのテーゼを皇論の用語を使わずに纏めようとする試みに他ならない。水器論批判のレヴェンに与えた影響として、皇論的「環境要因」概念を水器論的「器」概念として明示的に技術的文脈において記述することを身に付けさせたことが挙げられる。この時期に心圧論批判が展開されたのは、このような準備により皇論を客体として扱う道具が揃いつつあったためと考えられるだろう。”か。うーん、わかりやすい! 本当でしょうか。
まず前期の終わりに教法学からのdefenseをしていこうという話になるわけだけど、まあ近代って感じの表現をすると、大遠と小周の優先順位がリパラオネ教と皇論で割と違うって点が大きいんだろうなあ。雑すぎる対比構造なんだよなあ。まあ皇論は手近なとこからやるって意識が強いから「神学なんて難しい話から入るんじゃなくてまず目の前の地雷を避けませんか?」って話が飛び出すのは自然なんだよな。というか「神学なんて難しい話から入るんじゃなくてまず目の前の地雷を避けませんか?」って言説に教法学批判のすべてが詰まってるんだよな。これをちゃんとsupportしようとすると本が数冊生えるらしい。生える気もする。本当でしょうか。生えたんだからしょうがないだろ。
次が水器論批判と心圧論批判ですね。時期的には大体同じである。 今気付いたがここで展開されている思想がレヴェンをレヴェンたらしめてるな。
まず水器論。これはなぜレヴェンがだいぶ明確に主権者命令説的に法を捉えているのに、法を考察するにおたって自然法論者みたいなことをしているのか (例えばだいぶレヴェンに近いベンサムの思想には、「法と道徳の間には多くの重要かつしばしば複雑な偶然的関連があるけれども、両者の間には必然的ないし概念的関連はない」(出典: 深田 三徳『法実証主義における「法と道徳分離論」と「源泉テーゼ」(一)』の5ページ)という特徴をもつが、レヴェンはこういうことを言わなそう。しかも、レヴェンはその上でその基礎的な道徳的要請によってむしろ法の一般理論が意味を持ちうると考えていそうだし、ここもベンサムと真逆という感じがある; いやまあベンサムも功利主義という基準によって法を批判することができると考えたじゃないかというのはあるが、一見不合理な主張(これより後になるけどpaskadaleraの遵守とか)を主張しうるというのはレヴェンをこう解釈した方が説明しやすいんじゃないかなあという気がする) という案件も、フェディア法制史をやって腐敗しとるやんとなったからというのがありそう。こうなったのは主権者の利益と人々の利益が一致していないからだと考えたのが民会概念の起こりってことでいいと思う。そうそう、この辺で責任概念の考察をしだしたりしとるけど、これは後で説明する法哲学への傾倒の表れだね。
次、心圧論。これは厄介で、皇論を内面化しているレヴェンにとっては一番非自明な歴史的現象である皇論法制の腐敗をどう理解するかって話なんよな。正直ここの切れ味は微妙だと思う。まあポイントは、法制やら政治やらを健全に保つために要求されるような挙動って倫理的には謎になりうるという(革命を肯定的に捉える風潮に影響されたかなんかした)主張と、常に人々が政治を健全に保とうとした方が倫理的に謎な挙動が減るんじゃないかという(正直割と変なので後で解釈が変わるかもしれない)民会の擁護なんじゃないですかね。「倫理の階層」あたりの概念は苦労が見えて好き。
さて、こういう議論を通じて「皇論なしに法を理解していかないとなあ」となったのかどうか、レヴェンは法を構成する概念を理解しようと努めるようになる。そうすると人を罰すると何がうれしいのかとか気になってくるし、国家の必要性も非自明に感じてくる。あとpaskadaleraと言って、文化も法と関係ないのではないかというモンテスキューが聞いたら無限に批判しそうなテーゼも発生した。この辺のモンテスキューっぽい批判から本土外の反連邦主義が生えそうなので考えないとなあ。晩年のレヴェンってそれしかやっていなかったんですか? いや前の仕事で出てきた案件を消化したら、それだけで死んじゃったんですよ。あと普通に他の案件もその間に生やしてそう。