現世の情報とかいろいろ見ながらタフターの食のそれっぽい設定を考えよう
discordで投げていた雑考察をまず貼る。
手食文化みがあるが、ほんとかはわからない 手食文化圏のスープとか粥ってどう食べてんだろ インドはカレーをすくうときには匙をつかう、なるほど 手食っぽさと同時に、「飯は出来立ての湯気がたつ状態を喜ぶ」という直感もあってどうしようとなっている ただこの手食は宗教っぽくないんだよな、モノによって手か匙かを使い分けてるのかもしれない
こんなことを考えていると「トウモロコシが来るのでは?」という疑問が生える。
小麦とかで精一杯なんじゃないかな、分かんないけど。土地足りないし人口は多いしユエスレオネ人がどうもトウモロコシをそのままくってないみたいだし(くってたらさすがにもうちょい言及ありそうな気がする、知らんけど)
話を戻す。コーンスターチ用にトウモロコシが作られているということは糖->デンプンの経路を持つ種が存在するということ。つまりスイートコーン種の類がなくてもこの経路を失活させた種を品種改良で作ればよいので存在性は担保されている。もちトウモロコシは知らん。
わからん、SYなりfafs氏なりに聞く必要がある => SY「いやー、わからんなあ」うーん
さすがにアレなので調べた。やっぱりアミロペクチンでなくアミロースを合成させようとする酵素があった。なので、コーンスターチ用の種があれば3つともたぶんそろう。
あたり。
類型を調べようと日本をまず見たら、米の単収が全国平均で533kg/10aだった[ref]、なんで?
調べた。
トウモロコシは出穂期より前に大量に降水があると都合が悪い、はい閉廷。次は小麦で見よう。
フランスの小麦の単収は約530kg/10a(換算値)[ref]、やはりトウモロコシには遠く及ばない。土地に根付きすぎていて今更小麦から転換する気はないということだろうか。まあアメリカと違って灌漑が必要なわけでもなければ食文化も小麦に合わせて何千年やってきたわけだからそらそうか。
理由考えるのもいいけどもう単に1.&5.でいいんじゃないかな。
「あ、トウモロコシ、グルテンがあって小麦より地力使わないから小麦より歓迎されそう」
「小麦が地力を使う」は事実だが、トウモロコシはどうだろうということで調べると、トウモロコシもかなり肥料を必要とするらしい。もしかしてこいつらあまり歓迎されない植物なのか……?
南サニスは緯度とか気候的に麦にシフトしそうということ、うーん麦が食材としてはよりなじみ深いかなぁ
あ、祭りとか神事とかの特殊な状況では手で食べるというのを思いついた
思いついた。
やつらにとっての神は比較的遠い存在、というか彼らがかなりの現実主義者たちで天気とかのよほどのことでないかぎりは自分たちで何とかしますという考え方なので、「全てを神に委ねて善と平穏のうちに暮らそう」というような考えかたとは結構遠いところにある。
ポータルにも「節々の祭りの時に思い出したように祈る」って書いてあるし日本人の「いり豆を年の数だけ食べる」とか「祝箸の反対を使うな」と似たようなもんじゃないかな。
粥とかがあるのを考えるとまぁ匙はある。匙のみかはわからない。ただ箸ができる必然性もない。箸がないなら串かな?その場合はツォッフールの塩焼きは串を打って焼くことになるのか、いいな。串で行こう。
食事をするときに必ず遭遇する「食物を固定して何かを行いたい」という場面。
現代にフォークが存在することを確定させ、これがどう発生したかを考える。
3つめはピッチフォークが遊牧時代にそんなに発展するかという疑問があるため微妙そう、あれ定住して小屋で買う文明で生まれる道具でしょ。ということで上二つが濃厚とみていいかな。
3つめが一番ロマンと言うかいろいろできそうで楽しいけど決めるときは乱択かなー、ロマンに勝てなかったら3つめになる。予定。
ここまで考えたところで、2本の串を使うなら箸の方へ発展してもいいんじゃないかという論理が通ってしまった。
正直もうフォークとナイフで切り分けて串と匙で食事でええかってなっているので、箸は出現するかもしれないが普及しなかったorごく一部の地域にとどまった、くらいでいいかもしれない。考古学者が発掘して「串っぽいけど必ず2本1組だな?」みたいなことをやっててほしい(おもしろいので)
村だと普段の食事は穀物と汁物が基本、つまり大皿におかずが乗るのは祭りのときということか?